佐倉道 新町交差点(千葉県佐倉市新町)からスーパー乃ぐちや(千葉県佐倉市新町)まで

新町交差点から今度は東(右、海隣寺からだと左)に佐倉道を進んでいきます。

佐倉道沿いの新町あたりについて、歴史の道調査報告書には

さて街道は札の辻で左折して新町に入る。嘉永元年の絵図によると、横町六四間をすぎて左折し、上町八一間、上二番町五三間、仲間一五三間をまっすぐ進み、つき當りを右折して肴町八七間半、再び直解に左折して間の町六六間とつづいている。

とあります。

嘉永元年は1848年。
「仲間一五三間」とある「仲間」は「仲町」の間違いで、「再び直解に左折」とある「直解」は「直角」の間違いと思われます。

新町あたりの図を載せます。

新町あたりの図

新町あたりの図

新町交差点から20メートルほどの右側の駐車場の手前に高札板があります。

佐倉町 新町 上町 南側 高札板(模擬)

佐倉町 新町 上町 南側 高札板(模擬)。(新町)

これは模擬の高札板で、この位置には高札板はありませんでしたが、おそらく、新町交差点のところが当時の高札があったところなのですが、ここに建てられないので、現在の位置(新町の入口になるので)に建てたものと思われます。
一応、ここには御触書(現代風のもの)と、佐倉町時代の鳥瞰図などをここに掲示してあり、その他には佐倉市内などで行なわれる催事などをお知らせする掲示板として使われているようです。

高札板(模擬)から50メートルほどのところ右側にお店があります。

佐倉町 新町 上町 南側 蔵六餅本舗(木村屋)

佐倉町 新町 上町 南側 蔵六餅本舗(木村屋)。(新町)

蔵六餅本舗の本当の店名は「木村屋」で、もともとは菓子パン屋さんだったところです。
現在は蔵六餅などの和菓子を中心に販売をされていて、店の左側には喫茶があり、ここには「木村屋」と明記されています。

この蔵六餅本舗(木村屋)について、新佐倉真佐子には

木村屋の堅パンで知られた木村屋が今のところに開店したのは大正四年ごろでそれまでは、二番町四十番地にある現在の日栄航空という測量会社のある古い建物で商売をしていた。

...中略...

市制施行を記念して佐倉銘菓と銘打って昭和三十年にこの木村屋から売り出された「蔵六餅」の縁起については、弥勒の東福寺のところで述べることとする。

とあります。

大正四年は1915年、昭和三十年は1955年。
「二番町四十番地にある現在の日栄航空という測量会社のある古い建物」は、平成22年(2010)現在、佐倉市立美術館の駐車場になっているところ西側(駐車場入口の左側)にありました。

「蔵六餅」の縁起について、新佐倉真佐子には

上町の木村屋が市制施行を記念して昭和三十年ころ蔵六餅を佐倉の銘菓として売り出してから既に二十年以上にもなるが、この名が今からおよそ三百年の昔、延宝巳末秋九月というから延宝七年九月(霊元天皇時代)に書かれた「蔵六石記」に記されている「蔵六石」という奇石に因んだものであるということは余り知られていない。この石は東福寺が創建されたとき堀田氏の本家近江の宮川堀田氏より寄進された亀甲紋のある石で縦四十五糎、幅三十四糎、厚二十二糎の亀甲型をした奇妙な石で産地は豊洲というから大分県だろうか。

とあります。

延宝七年は1679年。
「霊元天皇時代」は、4代徳川家綱が将軍であった時代。
「蔵六餅を佐倉の銘菓として売り出してから既に二十年以上にもなるが」とありますが、新佐倉真佐子が発行されたのが昭和54年(1979)であるので、蔵六餅が売り出されてから既に45年(平成22年現在で)になることになります。

[ 続きを読む … ]

佐倉道 子育地蔵尊(千葉県佐倉市鏑木町)からくもの井戸・うるし坂(地技研佐倉市鏑木町)に寄り道して、新町交差点(千葉県佐倉市新町)まで

薬師坂・新道・旧道(北年貢道)・漆坂あたりの図を載せます。

薬師坂・新道・旧道(北年貢道)・漆坂あたりの図

薬師坂・新道・旧道(北年貢道)・漆坂あたりの図。

現在の薬師坂を説明板のところから90メートルほど下るとT字路になり、ここを左(東)に190メートルほど進むと三叉路があり、三叉路の左(北)に岩渕薬局がありますが、岩渕薬局の後ろ(北)の崖の中腹に寺(庵、絵図には東□寺とあるが、□の部分が判読できずではっきりした寺の名前がわからず)があったことが古今佐倉真佐子と稲葉時代の絵図にはあり、古今佐倉真佐子には

うるし坂余程行て村海道ある。

...中略...

扨鏑木村此道より二丁斗先へ行、山の中ふくに庵有。会伝と云僧也。周徳院の隠居也。真言宗也。此庵之庭に大木のみつかん(密柑)の木有。初冬の節は色付見事也。府内に是程のみつかんは外に無し。此庵の脇、百姓家十軒斗行て家切る。是迄一かはの家也。家末少畠有り。此畠之内細道也。薬師坂へ出る所也。右之百姓家前、細川つゞきてある。小鮒、いろたなご沢山すむ也。

とあります。

[2010-04-01 訂正] 「寺(庵、絵図には東□寺とあるが、□の部分が判読できずではっきりした寺の名前がわからず)」とあるところの「東□寺」は、どうも「東(?)隠居アン」と書かれているようで「東隠居庵」とするのではないかと思われますが、あくまでも推測なのですが「隠居アン」とは確実に読めるようなのでこの部分は正しいのではないかと思われます。

庵のあった場所は現在は空地になっており、さらに雍壁工事をしたために当時と地形の様子が変わっていますが、、古今佐倉真佐子にある「みつかん」の木はすでにありません。
「此畠之内細道也。薬師坂へ出る所也。」とある道は、先ほど下りてきた坂道のことで、岩渕薬局まで歩いてきたやや広い道の北側には、水路がありましたが、現状は暗渠化され道の一部になっています。

三叉路の東から南に進んでいる道は、成田街道(佐倉道)その95で武家屋敷へ向うところの変形4差路から、国道296号の下をトンネルでくぐり抜けていく旧道(北年貢道)がここに来て寺崎・四街道を経て千葉市の寒川まで続いています。

三叉路を真っ直ぐ(東)に70メートルほど進むと、Y字路があり左(北、旧道)へ140メートルほど進んだあたり、前方に国道296号のトンネルが見える左側にバイク屋さんがあります。

佐倉町 鏑木町 牛房鼻 やかん坂入口のバイク屋

佐倉町 鏑木町 牛房鼻 やかん坂入口のバイク屋。(鏑木町)

[ 続きを読む … ]

佐倉道 武家屋敷入口(千葉県佐倉市宮小路町)から周徳院へ立ち寄り子育地蔵尊(千葉県佐倉市鏑木町)まで

このあたりの図をもう一度載せておきます。

武家屋敷辺りの図

武家屋敷辺りの図。

武家屋敷通りの入口(T字路)から右(南、佐倉養生所跡の碑からだと直進)に30メートルほどで細道は左(東)に曲がり、50メートル行くとT字路になり、ここを右(南)に少し広い道(車がすれ違えるほどの道)があり、ここから急坂になりますが、この坂を薬師坂といいます。

佐倉町 鏑木町 雲井戸と牛房鼻の境 薬師坂

佐倉町 鏑木町 雲井戸と牛房鼻の境 薬師坂。(鏑木町)

T字路から坂を20メートルほど下った右側(西側)の竹藪になっているところの上には薬師堂の跡がありましたが、現在はここへ上がれないために、どうなっているのかは窺い知れません。
2004年(平成14年)あたりにここを歩いたときには、まだ薬師堂跡に上がる階段が残っていましたが、現在はなくなってしまい崖と道路の間に崩れて倒木が折り重なって、少し上が見え左側に小屋(お堂の朽ちかけているもののように見えるもの)がのぞけるところが、もと階段があったところです。(写真でいうと、ミラーの手前の茶色くなっているところ)

千葉県下総国印旛郡仏堂明細帳には

曹洞宗 周徳院持
薬師堂
一 本尊 薬師如来并十二神将
一 由緒 天正四丙子年正月八日創立
一 堂宇間数 間口三間半 奥行三間半
一 境内坪数 四百八拾六坪 民有地第一種
一 境内仏堂 三宇
観音堂
本尊 観音菩薩
由緒 明治三年一月二日創立
建物 間口弐間 奥行三間
仁王堂
本尊 仁王尊
由緒 明治三年一月二日創立
建物 間口弐間 奥行三間
大師堂
本尊 弘法大師
由緒 不詳
建物 間口壱間半 奥行壱間

とあり、千葉県印旛郡誌にも同文で載せています。

天正四年は1576年、明治三年は1870年。

[ 続きを読む … ]

OpenID

openid-accepted.gif

OpenIDに対応しました

Feeds

logo

▲ Page Top

What's New!

▲ Page Top